「人には人徳、企業には社徳」「志は高く、品格は更に高く」。1999年に創業したSBIグループを率いる北尾吉孝会長兼社長の座右の銘だ。証券、銀行から地方創生、さらに最近はメディア業界まで活動領域を広げる北尾氏。74歳になった今もなお、その旺盛なチャレンジ精神と確固たる経営哲学は衰えを知らない。中国古典から得た「信・義・仁」の精神を基盤に、次なる挑戦へと邁進する北尾氏の経営哲学と軌跡を追った。
伝説の証券マンからソフトバンク、そしてSBI創業へ
北尾 吉孝 (きたお よしたか)
1951年兵庫県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1974年に野村證券入社。1978年に英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。「伝説の証券マン」として知られる。1995年、孫正義氏の招聘によりソフトバンクに入社。1999年、SBIホールディングス(当時はソフトバンク・インベストメント)を創業。現在は代表取締役会長兼社長として経営の陣頭指揮を執る。
1974年 慶應義塾大学経済学部を卒業、野村證券に入社。異例の総合企画室配属となる。
1978年 英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。その後NYに赴任し、「伝説の証券マン」としての評価を確立。
1995年 野村證券で将来の社長候補と目されていたが、孫正義氏の招聘を受けソフトバンクに転じる。常務取締役に就任。
1999年 ソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)を創業。わずか55人でスタート。
現在 連結社員数1万7000人以上、時価総額約8000億円の企業グループへと成長。金融を中心に地方創生やバイオ事業など多方面で事業展開。
中国古典から導き出した「信・義・仁」の経営哲学
北尾氏の経営哲学は、幼少期から親しんできた中国古典に深く根ざしている。特に儒学の「義利の弁」、すなわち「義(正しさ)」と「利(利益)」を区別する考え方が基盤だ。
「人に人徳があるように企業にも社徳がある。その企業が社会的正義や公正にもとるようなことをすれば、当然ながら社会的な制裁を受けることになる。同時に、本業で正しいことを行えば利益も付いてくるものだと考えている」
SBI創業時に掲げた5つの経営理念は、北尾氏の思想を集約したものだ。特に重視するのが「信」「義」「仁」の精神である。
北尾氏が説く「信・義・仁」の精神
- 信:社会や人の信頼を失うようなことをしない
- 義:社会正義に照らして正しいことを行う
- 仁:相手の立場になって物事を考える
北尾氏は特に「志」と「野心」の違いを常々強調する。「志は社会のためであり、世代を超えて継承されるもの。一方、野心は自分一代限りのもの」との考えから、「志なき野心は成功せず」という言葉を座右の銘の一つにしている。
この哲学は投資判断にも反映され、投資先の選定においても、まず「志」を最重要視している。実際、SBIのベンチャーキャピタル部門は高い成功率を誇り、その秘訣を北尾氏は「志の高い経営者を見抜くことだ」と語る。
フィンテック革命を牽引する実践的経営者
北尾氏が創業したSBIグループは、インターネット金融の先駆者として日本の金融界に革命をもたらした。証券、銀行、保険のネット金融サービスを中核に、今では投資事業、資産運用、さらにはバイオ関連事業まで幅広く展開している。
特に証券業界においては、1999年の株式売買委託手数料自由化というタイミングを見事に捉え、ネット証券最大手の地位を確立。「顧客中心主義」を徹底し、従来の証券会社の常識を次々と覆していった。
「ベンチャーを成功させる、いちばん大事な要素は志です。志を最重要視して選んだ結果、グループのVC部門、SBIインベストメントの投資先は高い確率で成功しています」
その経営手法は拡大一辺倒ではなく、投資事業の利益を「貯め」、企業価値を高めながら「使う」というサイクルを重視する。この「貯めて使う」戦略が、リーマンショックなどの危機を乗り越えるレジリエンスを生み出してきた。
地方創生からメディア業界へ——新たな挑戦
近年の北尾氏の関心は、地方創生に強く向けられている。SBIグループは厳しい経営環境下にある地域金融機関の課題解決と収益力改善を支援。「地域金融機関のみならず、地域住民、地域産業、地方公共団体という4つの経済主体全てにアプローチする」という総合戦略を展開している。
そして2025年4月、北尾氏は新たな挑戦を表明した。米投資ファンドのダルトン・インベストメンツが、フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)の株主総会で取締役候補として北尾氏を含む12人を提案。これを受け入れる意向を示し、フジHDの経営改革に乗り出す構えを見せている。
「メディアとITと金融を融合するというSBIグループの事業構想がフジサンケイグループの再生と進化に役立つのではと考え始めている」
実は北尾氏とフジテレビには因縁がある。2005年、堀江貴文氏率いるライブドアがニッポン放送の買収を試みた際、北尾氏はフジテレビ側のホワイトナイト(友好的な買収者)として支援した経緯がある。それから20年、再び北尾氏がフジテレビと関わることになったのは、「過去の因果」と北尾氏自身が語っている。
74歳になった今も、次々と新たな挑戦に踏み出す北尾氏。その原動力は何か。それは若い頃から培ってきた「知恵と工夫と努力」の精神だろう。「戦略と戦術を必死で考え、部下を引っ張る」という姿勢は、今も変わらない。
「社徳」を高める未来志向の経営
北尾氏の経営思想の根底には「社徳」という考え方がある。これは企業の社会的責任(CSR)や環境・社会・ガバナンス(ESG)といった現代的概念と共鳴するものだ。
「本来、事業とは『徳業』でなければ長期的に存続し得ません。『世のため人のため』になる企業こそがサステナブルな企業であり、これは正にESG経営の考え方と軌を一にするものです」
この理念に基づき、SBIグループでは2015年の国連による「SDGs(持続可能な開発目標)」採択を受け、サステナビリティ基本方針を策定。グループの経営戦略の一環としてサステナビリティ施策を展開している。
さらに北尾氏はWeb3やメタバースといった新技術にも積極的に目を向けている。「制度改革がSBIグループの成功の礎になった」と語るように、新たな時代の変革をチャンスと捉える姿勢は衰えていない。
「インターネットを通じた金融サービスに加え、特にデジタルアセットのような『形』を持たないものに価値が発生する中では、これまで以上に正しい倫理的価値観を持って判断することが求められる」と北尾氏は未来を見据える。
おわりに——「天命」を感じ、「自彊(じきょう)」し続ける
北尾氏の座右の銘は「天行健なり。君子は以て自彊してやまず」(『易経』)だという。これは「天の運行は絶えず活発で、それに倣って君子も自ら努力を重ね、常に向上心を持ち続ける」という意味だ。
野村證券時代に「次の次の社長はお前だ」と言われながらも、ソフトバンクへ、そしてSBI創業へと歩みを進めた北尾氏。その決断の背景には「天命」を感じる直観があったという。
「知恵と工夫と努力しかありません。戦略と戦術を必死で考え、部下を引っ張る。野村證券という大組織を世界に冠たるインベストメントバンクにすること。それが僕の目指していたものでした」
しかし時に、人生には予期せぬ転機が訪れる。北尾氏はそれを「天命」と受け止め、新たな挑戦へと踏み出していった。そして今、メディア業界という新たなフロンティアに挑む。
野心ではなく志を持ち、常に自らを高め続ける——。北尾吉孝氏の生き方と経営哲学は、混迷の時代をどう切り開いていくのか。
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